日本オステオパシー業界で初の米国クラニアルアカデミー会員へ

今回、日本オステオパシー業界でクラニアル アカデミー認定国以外で個人でメンバーとして認められたことは、名誉であり、米国オステオパス達の努力のおかげで、なることができました。いままで、努力をしてきた、かいがあったというか、私に勉強の機会を与えてくれた。世界のオステオパスに感謝したいと思います。


現在、日本のオステオパス業界は米国オステオパシー学会でもサポートであり、日本の優良団体の定める国際基準をもっても会員としては認められません。


そして、世界のオステオパシーをまとめていく為にたちあげられた。OIA 旧WOHO)でも準会員というのが現状です。


特にクラニアル  アカデミーは、その中でまオステオパシーの技術レベルでは、世界でもトップ団体であり、試験に合格しないと会員になることはできません。


現在の日本のオステオパシーの団体ではその試験を受けることもできないのが現実です。


本当に悲しいことです。日本が認められるには、やはり各オステオパシー団体がよりレベルアップし、教育を世界のスタンダードに足並みを揃える必要があると思います。


私は過去、クラニアル アカデミー認定コースを受け、試験にもパスし、当時満点をだしたのですが、日本の教育レベルの低さや政治力のなさ、結束力のなさ等のこともありメンバーになる権利があったにもかかわらず、なることができませんでした。1999年のことです。


私はその時誓いました。米国オステオパシー業界が認めないオステオパスであれば、所詮は偽物であり、米国オステオパシー業界が認めてこそ、本物のオステオパスである。と私はそれ以来段階を登りながら、世界のあらゆるオステオパシーのコース、認定コース、学位等を受け続けてきました。


最初米国でのコースを受け始めた頃、米国オステオパスはすべて医師ですので、それに比べ日本はドクターでもなく…


そんな状態ですからコースの中での、実技の時は誰もペアーになってくれません。相当そんな時期が続きました。段々コースを受ける中年間、10回を超える渡米、昨年は15回、今年は19回に渡ります。


その努力が認められ、同じオステオパスの仲間と認められて誰もがペアーになってくれるようになり、認定者になるためのコースやいろいろな情報を私にくれました。


とても嬉しかったです。だから全て誘われるコースは全て参加しよう。そして全て参加してきました。

その努力により、技術や知識を得たことにより、評価されたのだと思います。ある意味、日本で習ったことでも、あえて米国で取り直しました。

変な話ですが、米国の医学部を卒業してもお釣りがくるほど、お金使いましたね。

自分が知っているオステオパシーの基礎コースでも、あえて米国で私は取り直しました。

その事により、米国のオステオパシーのレベルの高さを感じましたし、日本に流れてきてない、さまざまな、情報をえたり、

それらのテクニックの達人のコースに参加できる様になったりして、予期もしない幸運をつかめたのも 米国に行き続けたこと、あきらめないで続けるというこては、本当に価値のあることだと思いました。


クラニアル アカデミーの会員になるにあたって、私は日本でのコース、英国でのコースや米国で受けた全てのコースを提出することを義務づけられました。それによって判断するとのことでした。


そしてベーシックコースを二回受講しの二回の試験をパスして、なおかつ学会を五回(学会の開催は年、一回です。)参加しなければなりません。


かなり、ハードルの高いものだと思います。

けれども、あきらめずに、成せば成るのです。日本でオステオパシーをする。名のるというなかで、本物のオステオパスとして、オステオパシーの発祥の国であり、世界のオステオパシーの業界をリードし、実力的にもトップの国に認められてこそ、真のオステオパスと呼べるのではないでしょうか?


オステオパシーを学ぶ人達、そして現在オステオパシーの施術をしている、方々、そしてオステオパシーの業界の重鎮の方々、どうお考えでしょいか?


私はまだまだ、世界のオステオパシーの業界から考えたら、若干ものですが、日本のオステオパシー業界がより世界に認められ、患者さんにもより高いレベルの知識と技術を提供していけたらと考えています。

私は生涯、学生のつもりで、常に初心を忘れず精進してまいりたいと思います。


ありがとうございました。


代表

山本逸二